"せえの” で 余白の空

ついばんだ 桜 1つ

プロローグ

 

 

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去年の夏頃の事。

 

まだまだ暑い日が続く9月の終わり

通院してる病院の待合室で声を掛けられた。

ファイルから私が落としてしまった診察カードを見つけてくれた車椅子の女性。

その傍らには空席があるにも関わらず立ったままの息子さんと思わしき男性。

私はカードを拾いお礼を言った。

暫くするとその2人がボソボソと会話を始めた。

とはいえ内容なんてあってない、今となっては思い出せない様な些細な事で

寧ろ覚えているのはその男性がとてもイライラしていた事。

母親に対して怒っている様で全ての事柄に対してもイライラしているようなそんな口調が耳についた。

でもそれはとても覚えのある事だった。

私も同じ立場だったからだ。

言った事を正しく理解しない母親に対して

そんな言い方しなくてもという口調で言い返していた。

そんな日々だった。そんな27年だった。

その断片を今、第三者として垣間見て自分の嫌な面を突き付けられている。

心がズキンとした。

 

この男性はとても大変だと思う。

母親という性別が違う人の介護、自分の仕事との両立、金銭的な事や、プライベートの無さ、苛立ちたく無いのにそうなってしまう事。

 

これはかつての私だ。

 

暫くすると診察室から看護師さんが私を呼び込んだ。

その場を離れられる安堵が心に満ちていった。

診察が終わり外に出るともうその親子の姿は無く、さらにホッとした。

つくづく嫌な人間だと思う。

 

会計を済ませて帰路に着く為のタクシーを待っていた。

いつもは列を成しているタクシーは今日に限って一台も無かった。

夕方に差し掛かっても暑さはしぶとく残り汗を呼ぶ。

すると先程の親子が私の次にタクシーに乗ろうと列に並んだ。

待合室での事が頭を過ぎる。

でも親子は特に会話する事は無かった。

そこにやっと1台のタクシー。

 

「お先にどうぞ。まだまだ暑いですから」

 

そう理由をつけて先を譲った。

優しくしたかった。

車椅子の人へではなく、それを押す人に。

1日を振り返ってこの事を振り返る事なんてきっと無いけれど

少しでも波立つ感情が静まってくれたらいいなと。

かつての私へ、優しくしたかった。

 

女性は何度もお礼を伝えてくれ頭を下げていた。

もくもくと車椅子を積み込んでいた男性が

車に乗る寸前に「有難う御座います」と一言残してタクシーは走り去った。

きっと帰っても、寝て起きても、明日になっても苛立つ事はあるだろう。

それは時に自分をとんでもなく苦しめる。

こんな些細な優しさではどうにもならない事を私は知っている。

 

そんな日々だった。そんな27年が去年終わった。

 

 

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