"せえの” で 余白の空

ついばんだ 桜 1つ

鳥籠から見上げる空に思う事。

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一般的に歳を重ねるほど、死という概念は身近なものになる。

自分の年齢と共に周りも同じだけ歳を取り、必然的に人間関係も増えていく。

自分とは遠い関わりの人の訃報も耳に入りやすくなるし

子供の頃は気にした事もなかった世に溢れる死に纏わるニュースも自然と聞き入れる様になっていく。

最初に触れる死は、飼っていた動物や身内の死が一般的だろうか。

 

30代に入って、身内・親戚・友人・友人の親族など

人を見送る機会は片手では済まなくなってきた。

 

近年では一昨年に母親と

もっと仲良くなりたかった友人を *1

そして去年は親友の母親と

連続でなかなか堪えられない失望を迎えている。

特にこの親友のお母様とは実は親友と出会うより遥か前に出会っていて

私の境遇を知って、良く声を掛け労わってくれていた人だったのでより悲しみは深かった。

このタイミングだと理由はコロナ?と思われそうだが

皆違うところがまた色々考えさせられる。

 

それに伴い人それぞれ死の悲しみ方と癒し方は本当に様々だなと感じている。

父親が死んだ時、私は同じ様な亡くなり方をした人の身内や

そこに立ち会った職種の人の記事やブログを読み漁った。

一方、姉は一切の情報を断ちひたすら内に籠った。

5年以上経った今でも関連した小さなトラウマを抱えてる。

私も自分では気づいていないけれど、実際はそういうものが残っているのかもしれない。

 

数年前、大切な飼い猫を亡くしたNEWSの小山さんは

その子との記憶と思い出を元に歌詞を書き、自身のアルバムソロ曲とした。

当時の私はちょっと重たすぎるな……と思ったけれど

暫くしてからやっとその真意に気づけた様な気がした。

小山さんは、その子を一緒に愛してくれたファンと共に

見送りたかったし、自分自身に納得させたかったのかなと。

 

死の悲しみ方、癒し方は人の数だけあって

そのどれもに間違いは無い。

泣いて悲しんで、偲んで、想いを馳せて

時には作品にしたり、違う形にして存在を残す。

何故なら、どんなに辛くても私達はまだ生きていかないといけないのだから。

 

 

ここからは自分の死について。

 

 

数年前、ある手術をするというブログを書いたのだが

それが出来ずに3年ほど経過していた。↓

( 手放すモノ・手に入れるモノ - "せえの” で 余白の空)

それはあまりいい理由ではなく、その状況から悪くなるのを

待つしかないという段階になってしまったからだ。

(悪くなれば切除するという治療段階に進めるから)

で、それが今になった。

去年9月に手術をした時に行った検査結果が悪く

11月中旬ごろ病院から携帯に不在着信があった段階で

「あ、これは良くない結果が出たんだな」と直ぐに察した。

数年続いたグレー判定が黒になるとやはりドキリとするものだが

実際には凄く落ち着いてたし、次の段階に進めたのはある意味良かったなとも思う。

多分、この話をした時の姉の方がよほど動揺したんじゃないだろうか。

(LINEだったから分からないんだけど)

姉もこの状態なのは当然知ってたけど、あまりにも突然だったから…。

 

そこからは予定していたヲタクとしての日程をこなしながら

入院の為の検査や準備、やっておかなければならない事をこなして12月末に入院した。

1か月以上の入院、しかも年末年始を病院内で過ごす。

人生初の体験だった。

手術の日程は大体2月の頭位に予定通りいけば行うというスケジュールで

このコロナ禍で一度入院すれば基本的に退院まで家に戻れる事はない。

他人との共同生活は別に問題無いのだが

一番つらかった事は兎に角「歌えない事」だった。

音楽が好きだし、歌う事がずっと好きだった。なのに悲しいかな上手い訳では無い。

これで上手ければ何か違う人生の一歩が進めたかもしれないが

そういうレベルではない。

楽器が出来る訳でもない、本当に好きな歌を歌う事だけ。

でもそれが出来ない場所なのだ。(当たり前だ)

これがダントツで辛い理由だった。

 

手術自体は比較的予後が安定しやすいものだと言われていたが

どんな手術だって大変な事には限りないと痛感した。

麻酔から覚めると寒い訳でもないのに身体がぶるぶると震えていた。

そして身体が重い。

痛み自体は最小ではあると思うが痛み止めは欲しいという感じ。

でも術後翌日にはもう立って歩いて自力でトイレに行ける。

前日10時間手術してたのに…。

本当に医療って、凄い。

術中出血量も110㏄とか言っていた気がする。

本当に、本当に医療って、凄い。

 

1つ計算外だったのは手術をして

悪いモノを取り除いて「はい、おしまい!」では無かった事。

今度は段階的な薬物投与による治療に進む事になる。

今後はそれによる副作用が出てくると思われるが

こればかりはやってみない事には分からないのが今の最大の悩みである。

 

死がテーマでここまで書くと「お前……死ぬんか?」と思われそうだが

そういう段階では無いので大丈夫です。とだけお伝えしておく。

 

30代後半立派なアラフォーが言える事は「健康って大事」という事。

心の健康もだが、身体の健康も当然大切だ。

下手したら身体から心まで一気に直結してしまう事もあると思う。

機会があるなら検査や健康診断はしてほしいし

余裕があるなら「保険も入っててもいいかもね!」とも思う。

(私は入って無かったけどね!!)

少なくとも唐突に起きてしまう事故以外で

自分で気を付けられる事なのであれば、そこを意識的に気に掛ける事は大事だと思う。

 

誰かを見送るのは悲しい事だ。

しかも今はしっかり見送れない状況でもあるから。

間に合わない事も、悔やむ事も、残された側には相当のダメージになる事を

私は自分の父親を亡くした時に経験している。

 

これを読んでくれた人には誰かを大切に思う様に

自分の事も少しだけ大切に想ってあげてくれたらいいなと思う。

こんな事10代20代の私なら絶対に出てこない考えだった。

沢山の誰かや、自分の大切な人達の死が別れが

様々な想いを生み、考えを改めさせ、到底言う事も無かった様な言葉を綴らせているのだ。

 

私だってたまたま早くから検査をしていて

結果が出て早期段階で手術に至れたというだけで

自覚症状なんて勿論何もなかった。

このまま数年何も知らずに過ごしていたら、本当に手遅れの段階だったかもしれない。

死というものは縁遠い様に思えても紙一重

手を伸ばせば直ぐに触れられてしまうものなんだと思う。

 

まだまだ観たいものが沢山ある。

応援したい人もいるし、その人達の幸せな姿をずっとずっと観ていたい。

(多分それで寿命伸びてる)

出来ればその幸せを担える一人でありたい。

 

 

会いたい人達もたくさんいるんだよ。

私ももうちょっと頑張るから

だから、みんなも元気でいてね。

*1:本当は友人と書いていいのかも分からないほど、距離感は遠いのだけど相手はもう皮肉の1つも言えないだろうから友人と書かせて貰う。へへーん!