"せえの” で 余白の空

ついばんだ 桜 1つ

手放すモノ・手に入れるモノ

 

※身バレを避ける為にフェイクも混ぜておりますが

 出来事自体はフェイク無しです。

 

 Johnny's関連のブログですが極めて個人的な事なので

 そういうのに興味がない場合はスルーしてください。

 

何十年かぶりに、大きく体調を崩した。

何十年か前と全く同じ理由で、体調を崩した。

前回は20代のど真ん中だった。

今でも当時の担当医が言った「あと2,3日遅かったら死んでた」という

台詞は忘れられない。

こんな事で、こんな軽く人って死ねるんだ…という衝撃だった。

この台詞を一緒に聞いていた姉は一体どんな気持ちだったんだろう?

聞いた事は無いが担当医が帰った直後に「笑えない」と怒っていた事は覚えている。

 

数十年前と全く同じ症状が出ていた11月

私は自身の経験と判断でこれ以上放っておいたら死ぬ!と思い

片っ端から大きい病院に電話をして回っていた。

当時も今回も救急車を呼べば良かったのにと言われるのだが

それはなんとなく私の中では嫌だった。

(これにはある理由が私の中であるからだと思うんだけど

 それはまた別の機会に話したいと思う。)

 

でも、個人の訴えでは緊急性はなかなか伝わりにくく

何処もやんわりと断られ続けていた。

止まらない症状、経過する時間、動けなくなっていく自分の体

なかなかの綱渡り感…

最後の最後に、前回お世話になった病院の夜間救急に問い合わせた。

ここで断られたら本当に救急車を呼ぶしかない。という手前だった。

そのギリギリで「いらして下さい」と初めて受け入れられた。

即日入院だった。

担当として現れた医者の一人は当時の私の担当医、その人だった。

瞬間的にお互い「初めてじゃありませんね」となった。

これが漫画や映画やドラマなら恋が始まる瞬間かも知れない。

まぁ、私は死にかけてるんだけども。

 

前回と同じ様に検査を受け、前回と同じ様に特に大きな理由は見つからなかった。

ただ

前回は若かったから提案されなかったのかな?と思う「治療」を提案された。

それは沢山の機能や出来る事を失う選択肢だった。

「女性として出来うる事を全て放棄する処置」と言えば伝わりやすいだろうか?

 

 子供を欲しいと思った事が人生で一度も無かった。

自分にはとても育てられないと。

どんなに好きな人がいても、その人に求められても

「この人の為に子供を産みたい」という思考回路が生まれなかった。

過去お付き合いした人にも都度、子供は産む気はないと最初から伝えてきた。

これを知り合いや友達に話す度に驚かれる。

友達の子の相手をしている私はとてもそうは思えないという。

でも、そういう事では無いのだ。

私には向いてない。子供を育てるという事に責任を持てない。

 

私の親は子供に暴力を平気で振るう人だった。

父親は母親ほどでは無かったが、両親ともにそういう人達で

母親に関して言えばそれが直った事は一度も無いし

きっと罪悪感なんてものも感じていないんだと思う。

死んだ様な目で平然と物や腕を振り下ろす。

私の中の憎しみすらもまるで無視をして

殴った手に私の涙がつこうが、血が滲んでいようが、痣が出来ようが

躊躇する事も止める事も無かった。

なんなら楽しさすら感じているのかもしれないと思わせるほどで

こんな人間がいて、こんな人間から産まれてしまった自分が

同じ様な道を歩む日が来てしまうのかもしれないと思ったら

子供を産むという選択肢は当の昔に消え失せていた。

私の中で「子供を可愛い」と思える事と「だから産める」は生涯イコールにならなかった。

 

担当医と、さらに複数の医者からなる

私を診るチームの医者達から手術の提案をされた時

私は迷う事なく手術をする選択をした。

最初は機能は無くさず温存する方法もあると言われた。

でも詳しく聞くとそれで再発が無くなるか?と言うと100%ではないとも。

それならする意味ってあるのだろうか…と不安になったし

そもそも手術をすれば入院が長引く。

家には私しか出来ない事が山積みで人に頼めない事もある。

自分の体どうこうより、そちらの方が不安だった。

 

最終的な検査を諸々受けた後

機能は無くなってしまうけれど…と打ち明けられ

これしかないと思った。

自分のこれまでの人生、この症状で散々悩んできた。

友達にも家族にも他人にも迷惑をかけてもう既に3度死にかけてる。

やらない理由が無かった。即答だった。

 

「本当にいいの?これから先の事だって考えていいんだよ?」

「今すぐ決めないといけない事じゃないんだよ」

「まだ時間があるしゆっくり考えていいんだよ?」

お医者さんたちはとても冷静だなと思う。

提案はしても、その先の道も示してくれる。

きっと普通の人ならその道に縋るんだろうなと。

でも私の答えは

「今すぐ決めた訳じゃなく、30年以上望んだ事は一度もありません」だった。

私より悲しそうな顔をする先生達がとても印象的だった。

 

いつか後悔する日がくるのだろうか?

それは私が一人寂しい独り身になった時だろうか?

こんな時、子供がいれば…と?

ブログなんかにしている時点で既にその表れなのだろうか?

現時点でだって迷いは無いし、答えは決まっている。

今年沢山聞いてきた「平成最後の~」という枕詞。

私には無縁だし、特に意味もなく平成は終わるのだろうと思っていた。

でもそんな最後の年に、自分にこんな大きな事柄が起きるとは…。

本当に人生とは予測がつかない。

自分の決断に後悔をした事は無い。とは言い切れない。

今まで2度ほど「こうしてたらどうだったろう?」という節目がある。

でも、多分道が変わってもゴールは同じだったと思う。

だって、走者は誰でもない私なのだ。私という人間は簡単には変わらない。

だから今回も自分で決めてそれを肯定する。

 

失うものは1つじゃないけれど

手に入れられるものだって0じゃないだろう。